エニアグラムタイプ1 - 改革者
エニアグラム・海外書籍情報の翻訳・まとめ(@grm27646)
タイプ1の基本情報
情念: 怒り・憤怒
自分の完璧主義的な基準を満たせないことへの憤り、激しい「正義の怒り」、そしてほとんど表に出ることのない憎しみ。現実を受け入れず、それに抗おうとする姿勢。
執着:完璧主義
不完全な現実を補おうとして、自分自身を完全な存在に近づけるために、周囲を絶えず正そうとします。あらゆるものは不完全で、どこか修正が必要だと感じるため、どうにかしてそれを完全なものにしようとします。流れに逆らって川を押し進めようとするような姿勢をとります。
防衛機制:反動形成
「受け入れがたい」と感じる衝動や態度とは正反対の態度を取ります。衝動性への反動として、自身の欲望から生じる衝動を、より規律正しく理想的な人格へと作り変えようとします。
基本的な特性
支配的、貴族的、威圧的、批判的、偽善的、規律正しい、快楽を感じにくい、規範的。
情念と執着
タイプ1の自我のサイクルを始動させる情念は「怒り」であり、この情念を支える執着は「完璧主義」です。
「怒り」と聞くと、心の根底に怒りを抱え、いつも激しく怒っている短気な人を思い浮かべるかもしれません。このイメージには当てはまる部分もありますが、誤解を招きやすい面もあります。
タイプ1の怒りは、他のすべての情念と同様に無意識のものであり、本人がはっきりと自覚しているものではありません。むしろ、その怒りは直接表れるのではなく、存在がうかがえる程度です。タイプ1は、礼儀正しく善良な人物でありたいという自己イメージを保つために、自分の怒りを抑え込み、コントロールします。
アルマースが指摘するように、「憤怒の中には嫌悪があり、それは自分の経験に対する怒りと拒絶から成り立っています」。この攻撃的な態度は、物事のありのままの状態を単に拒絶するだけではありません。それをタイプ1が抱く「こうあるべきだ」という内面的なイメージに強引に従わせようとする姿勢でもあります。この態度は、自分自身や他者の欠点だと感じる部分を指摘し、正そうとするタイプ1の傾向として表れます。そして、その対象は世界そのものにまで及び、自分の考える「あるべき姿」に近づけようとすることもあります。その背景には、「すべてが完璧になれば、自分はようやくリラックスできる」という感覚があります。
The Enneagram of Passions and Virtues, - Maitri
怒りは、単に危険や不幸に反応して生まれる感情ではありません。タイプ1にとって怒りとは、本来の満たされた状態から堕落し、実存的な虚無を感じたときに生まれるエネルギーです。タイプ1は、その虚無を埋めて、より高い存在になろうとします。そのため、現実にあるあらゆるものに対して、内側で静かに燃え続ける怒りを抱えています。そして、その怒りに突き動かされて行動します。この姿は、「神の怒り」という比喩で表すことができます。つまり、自分は完全で正しい存在だと信じ、その正しさを基準にして他者を裁く存在です。イチャーソは、この情念を「現実に抗うこと」と呼びました。その根底には、「現実はこのままではいけない」という不満があります。これは、自分自身の壊れた部分を現実や他者に投影しているためです。自分は本来の状態から堕落してしまったと感じるため、その状態を「修復しなければならない誤り」と考えるようになるのです。
タイプ1の情念は、「問題は解決すべきだ」という強い衝動です。タイプ1にとって怒りは、単なる感情ではありません。怒りは、自分を前へと動かす燃えるようなエネルギーです。そのためタイプ1は、その場で感じている気持ちや、自分の考えを十分に整理する前に、「まず解決しよう」と行動へ向かいやすくなります。タイプ1の「川を割る」という姿勢は、状況に合わせるよりも、自分で状況を変えようとする内的な必要性を表しています。そのためタイプ1は、「この人は間違っている」と感じる相手に対して、優越感を抱いたり、批判的になったりしやすくなります。
27 Personalities in Search of Being, Naranjo
完璧主義は、この怒りを支える執着として生まれます。怒りの情念が持つエネルギーは、タイプ1に「流れる川を押して流れを変えようとする」ような発想を生み出します。タイプ1は、現実は自然な流れのままでは不十分で、根本的に「間違っている」と感じます。そのため、現実を自分が「こうあるべき」と思う姿に変えようとします。しかし、流れる川を押しても流れは変えられないのと同じように、現実も自然に、本来あるべき方向へと進んでいきます。タイプ1は、そのことに気づかないまま現実を変え続けようとするのです。
破綻と偽りの美徳
この説明を読むと、タイプ1は精神的に欠陥があり、自分の「壊れている部分」を深く悲しむ人だと思い、タイプ4と混同してしまうかもしれません。しかし実際には、タイプ1本人は、自分を壊れた人間や欠陥のある人間だとは思っていません。もちろん、その感覚は無意識にはあります。しかし、本人が意識しているのは、「完全であること」を今すぐ実現しようとすることです。タイプ1にとって、完全性は少しずつ成長して目指すものではありません。タイプ1は、「完全であること」はすでに今ここにある事実だと考えています。そして、自分は本来すでに完全であり、壊れているのは自分ではなく外の世界だと考えます。私たちがこれまで説明してきた「自分は壊れている」という感覚は、タイプ1本人が自覚しているものではありません。それは、自己についての無意識の観念にすぎないのです。
タイプ2は、その誇りに満ちたナルシシズムの根底に、「自分は取るに足らない存在だ」という感覚を抱えています。そして、その感覚を他者に投影します。同じように、タイプ1は、怒りによる硬直性の根底に、「世の中は乱れている」「自分はどこか壊れている」という感覚を抱えています。タイプ1は、完璧を目指せば目指すほど、自分の不完全さにとらわれていきます。しかし本人は、「不完全なのは周りの人たちだ。だから自分が正さなければならない」と考え、完璧を目指しています。タイプ1は、自分こそ欠陥を抱えた存在であることを認めることができません。また、現実は本来、そのままで完全であるということも受け入れられません。そのため、自分の基準に合わせて現実を変えようとするのです。
関係性において、タイプ1は、自分の考え方や行動の基準を相手にも当てはめる傾向があります。また、自分に求めているのと同じ完璧主義(執着)を、相手にも求めます。
合理化と自己正当化が非常に強い性格です。タイプ1はガッツセンターのタイプの中で最も知性的です。タイプ1は、自分は徳を備えた人間であり、自分の行動は正しいと信じています。そのため、他者から見ればその行動が「間違っている」ように見えたり、人を傷つけたりすることがあっても、タイプ1は強い罪悪感を抱きません。タイプ1には強い優越感があり、自分を振り返ることも少なく、反存在論的な傾向もあるためです。その結果、タイプ1は「美徳」の名のもとに行動できます。この点はタイプ8と共通しています。タイプ8は、自分の感情に対して鈍感になることで、衝動のまま自由に行動できるようになっています。しかし、タイプ8とタイプ1では、その考え方は大きく異なります。タイプ8は、道徳的事実は存在しないと考え、社会が作った行動規範にも反発します。そのため、冷笑的で反知性的な性格になります。一方、タイプ1は、タイプ8とは対照的に、洗練され、過度に社会志向的で、知性的です。そして、道徳的事実には絶対的な正しさがあると信じています。つまり、タイプ8は社会を否定することで自分を正当化します。それに対してタイプ1は、社会の規範を極端なまでに守ることで、自分を正当化するのです。
徳(道徳経における徳)は、自ら徳のある人であろうとはしません。だからこそ、それは徳なのです。
老子
このようにして「自分は徳の高い人間だ」という思い込みを作り上げると、タイプ1は、他者が持っているものを「本来は自分のものだ」と考えるようになります。そして、それを受け取るのは自分の当然の権利や特権だと正当化します。その正当化対象には、自分の「傷ついた心」まで含まれます。実際には、そのような傷が客観的に見たら存在しなくてもです。タイプ1には、偽善的な面がよく見られます。「自分は徳の高い人間だ」という思い込みがあるため、言っていることと実際の行動が食い違います。しかし、本人は自分のほうが他者より優れていると感じているため、その偽善に気づけません。この偽善性は、防衛機制にはっきりと表れます。
防衛機制
反動形成とは、自分の中にある自然な衝動や欲求を受け入れられないときに、その気持ちとは正反対の態度や行動をとる防衛機制です。タイプ1では、自発的な無意識の働き(タイプ7の情念である自己放溺に関わる部分)に対して、「こうあるべきだ」という硬直した意識が作られます。そのため、タイプ1は善と悪、正しいことと誤っていることを白黒はっきり分けて考える傾向があります。このような二極化したものの見方は、反動形成の働きとも深く結びついています。この反動形成は、ときに償いと関連づけて説明されることもあります。本人は望ましくないと感じる衝動や、不安を引き起こす衝動を抑え込むために、その気持ちとは正反対の態度や行動を表します。そうすることで、本人は自分の中にある葛藤を意識せずに済みます。よく知られた例として、好きな少女をいじめてしまう少年が挙げられます。少年は無意識では少女に惹かれていますが、その気持ちを認められないため、好意とは正反対の態度を取ります。これが反動形成です。
タイプ1は、とても禁欲的な性格です。その背景には、極端な道徳主義と、非人間的な理想を実現することで他者から尊敬を得ようとする欲求があります。一方で、タイプ1の無意識の側面であるタイプ7は、衝動のままに行動して自己放縦を満たそうとする、自発的で非合理的、そして未熟な性格です。タイプ1の内面にも、この自己放縦への傾向があります。しかし、その傾向は強く抑圧されています。そのため反動形成が起こり、「自分は正しい」という立場を守ろうとする、傲慢で完璧主義的な態度が生まれます。その背景には、「自分は衝動をコントロールできる。だから自分には、愛され、尊敬され、特別に扱われる資格がある」という無意識の信念があります。
例えばイチャーソは、カトリックの司祭たちが、自分のセクシャリティをタブー視し、性を完全に抑圧していることを批判しています。そして、その結果として、司祭の間で同性愛や性犯罪が増えたと主張しています。この例では、抑圧されている「性」は自己放縦(情念)を象徴しています。そして、その代わりに重視される「禁欲主義」は、美徳とされています。もう一つの例が、ソフィストとアリストテレスの思想的な対立です。イチャーソは、アリストテレスがソフィスト運動を打ち破ったと考えています。また、論理的に言えば、アリストテレス自身もソフィスト運動から生まれた存在だと述べています。この例では、ソフィズムは自己放縦(情念)を象徴しています。また、個人的な利益(多くは政治的利益)のために、真理を相対化する考え方も表しています。それに対して、アリストテレス(タイプ1)は客観的な論理体系を確立しました。その結果、ソフィスト運動は事実上終わりを迎えました。
こうした積み重ねによって、タイプ1は、人間の「真の欲求」を抑え込んだ、見せかけの美徳を備えた性格をつくり上げます。そして、このパターンは繰り返されます。反動形成によって、「正しい」とされる反応が生まれるだけではありません。同時に、物事が自分の信じる「あるべき姿」になっていないことへの怒りも、「正当なものだ」と感じられるようになります。
幼少期 ― 受動的な子どもと積極的な親
タイプ1の幼少期には、自分の考えを強く押し付け、細かいことにこだわり、間違いをすぐに指摘するような権威的な人物がいることがよくあります。彼らは子どもの行動に強く介入してコントロールしようとする一方で、感情的には距離を置いています。そのため、タイプ1の子どもにとってその人物は、「こうあるべき」という価値基準だけを示す存在になります。このような環境の中で育つと、タイプ1は「愛され、受け入れてもらうには、親に従い、完璧でいなければならない」と学びます。そのためタイプ1は、親の愛情を得るには、親の求めるとおりに行動するしかないと感じるようになります。こうしてタイプ1は、親の要求に対する不満を心の中に抱えるようになります。また、親に受け入れてもらうために、自分の自然な反応を「正しい」反応へと抑え込まなければならないことにも、不満を抱えます。その結果、タイプ1の性格はしだいに硬直していきます。そして、その抑え込まれた不満は、世界に対する根底的な怒りとして心の奥に残り続けます。
テオフラストス――『寡頭政治家』
「私たちだけで集まり、この問題を決めよう。群衆や公共広場には近づかず、公職からも手を引こう。そうすれば、この大衆から批判されることも、持ち上げられることもなくなる。この都市は、彼らが治めるか、それとも私たちが治めるか、そのどちらかでなければならない……。」
寡頭政治家(少数の特権階級だけが政治を行うべきだと考える人々)は、正午までは外出しません。身なりはいつもきちんとしていて、外套を整えてまとい、ひげを整え、爪もきれいに切っています。[…]また、議会では、ぼろぼろの服を着た支配される側の人の隣に座ることを嫌います。
コメディア・デラルテ ― パンタローネ
コメディア・デラルテの登場人物の中では、エニアグラムのタイプ1はパンタローネという人物として表れています。パンタローネは権威主義的な老貴族です。この人物は、ローマ喜劇の時代からすでに笑いの対象になっていた、不快で批判的な老人の人物類型「セネクス」に由来すると考えられています。パンタローネが登場する物語では、彼は抜け目のない召使いアルレッキーノや、美しい侍女コロンビーナを抑えつけて支配しようとします。90ページの挿絵では、パンタローネは短剣を帯びたひげの老人として描かれています。このような衒学的な態度や、本質よりも細かな正確さに気を取られる傾向は、あるフランス人の逸話にも表れています。その人物は、死の直前になって「Je meure(私は死ぬ)」、あるいは「Je me meure(私は自ら死ぬ)」と言いました。(どちらも文法的には正しい表現ですが、この逸話は、死を目前にしても文法の正しさにこだわる衒学性を皮肉っています)
Enneagram of Society, Naranjo
理想化された側面 - 輝き
ここでいう「輝き」の状態とは、完全で、欠けたところがなく、純粋な状態です。タイプ1の人は、そのようなあり方を自分で目指します。そして、自分だけでなく、他者や周囲にもそれを求めます。
タイプ1は、何が正しく、何が間違っているかについて、はっきりとした基準を持っています。そして、誰もがその基準に従って正しく行動すれば、世の中はうまくいくと考えています。
そのため、タイプ1は不完全なところによく気づきます。また、批判的になったり、欠点を見つけたりして、物事を自分が正しい、善いと考える基準に合わせようとします。
タイプ9と同じように、タイプ1の意識は外側に向いています。しかしタイプ1は、物事が完璧ではないことに憤りを感じ、それを正そうとします。
タイプ1は超自我と強く同一化しています。そのため、「今起きていることにも意味があり、それ自体で正しい」という見方を受け入れることが苦手です。
タイプ1は、混沌や無秩序を苦手とします。そのため、身だしなみや生活空間、職場などを、きちんと整えておこうとする傾向があります。
また、タイプ1は自分が「善い」と考える人間であろうと努めます。そして、自分の中にある「善くない」と感じる部分は、意識から遠ざけようとします。
エネルギー的には、鋭く引き締まった印象があります。また、清潔で整った、凛とした雰囲気を感じさせることが多いでしょう。
The Spiritual Dimension of the Enneagram, Maitri
シンボルとして
さらに、反動形成とは、貪欲という情念が怒りへと変わる過程だと考えられます。タイプ1の人は、貪欲の本質である自己放縦を、最も受け入れがたいものと感じます。そのため、タイプ1は、あらゆるタイプの中で最も自己放縦とは無縁であり、「高潔な禁欲(美徳としての厳格さ)」を最も強く備えています。
タイプ1は、タイプ4およびタイプ7と統合退行ラインで接続されています。
タイプ1とタイプ7のラインは、タイプ2とタイプ4のラインの関係性によく似ています。どちらも、自分自身の中に隠された無意識の指向性や選好性を抑圧するものです。
タイプ1は、自身が愛と尊敬に値する人間であろうとして、人間が本来持つ「自分を甘やかし、快楽を求める性質」を抑圧します(つまりタイプ1は人が持つタイプ7的な側面を抑圧します)。そして、「私はすでに正しい人間であり、自分を正したのも自分自身だ」という姿勢で、自分の不完全さや堕落性を処理しようとします。
一方で、タイプ1とタイプ4のラインは、「自分や他者には欠陥がある」という感覚に表れます。タイプ1は、その欠陥感を他者に投影するだけでなく、ときには自分自身にも欠陥があると信じ込んでしまうことがあります。
タイプ1は完璧を追い求めるあまり、「他人は欠陥があり、間違っている」と感じるようになることがあります。その結果、自分はそうした人たちとは違う、切り離された存在であるかのように感じることがあります。
タイプ1の情念である「怒り」の特徴的な表れ方が「感情を外へあふれ出させること」だとすれば、タイプ5の情念である「強欲」の特徴的な表れ方は、出し渋り、内に溜め込むことです。タイプ1の怒りは、(本人には自覚されていないとしても)自己主張という形をとるため、貪欲に見えることがあります(つまり一見すると貪欲なタイプ5のように見えることがあります)。一方、タイプ5の強欲における貪欲さは、溜め込み、つまり手放さず保持し続けようとする傾向としてのみ現れます。このタイプ5の溜め込みは、恐れに基づく執着であり、「手放せば取り返しのつかないほど失ってしまう」という幻想を伴っています。こうしたタイプ5の溜め込みの衝動の背後には、「欠乏の危機が迫っている」という感覚がある、と言えるでしょう。
Character and Neurosis
タイプ1とタイプ5の関係を特徴づける軸は、一般に「所有欲が強い(ポセッシブ)」と呼ばれます。フロイトの理論では、これは心理性的発達における肛門期への固着と考えられています。これまで見てきたように、タイプ1は、善人であるかのように振る舞うことで、自分が望むものを手に入れようとします。また、「それは自分が受け取って当然のものだ」と感じているため、自分が望むものを失うと怒りを表します。
一方で、タイプ1はタイプ5とは違い、規則を守らせようとします。どちらのタイプも禁欲的で、自分の欲求をできるだけ抑えようとします。しかし、タイプ5が自分の内面を完璧にしようとするのに対し、タイプ1は周囲の環境や現実を完璧にしようとします。
たとえば、タイプ1が自己保存本能によって自己完璧主義的になる場合、周囲の環境を完璧に整えるという形を通して、自分自身も完璧になろうとします。
タイプ1と隣り合うタイプ(タイプ2とタイプ9)
エニアグラムでは、タイプ1はタイプ9とタイプ2の間に位置しています。この配置を見ると、タイプ1の完全主義的な性格は、単に「反内省的(anti-intraceptive)」なだけではなく、強いプライドもあわせ持っていることがわかります。実際、一般的な意味での「傲慢」という言葉は、エニアグラムにおける「傲慢」と呼ぶタイプ(タイプ2)よりも、むしろ完全主義者に見られる貴族的で尊大な態度を指して使われることがあります。なぜなら、「傲慢」のエニアグラムタイプの人(タイプ2)が求めるのは、立派で賞賛される人になることではありません。自分が他者から必要とされ、愛され、とても特別な存在として大切にされることだからです。
Character and Neurosis
タイプ1は、ガッツ・トライアドに属しているため、隣接するタイプ9の影響を強く受けています。タイプ1は、タイプ9から根本的な情念である「怠惰」を受け継いでいます。タイプ9は、自分の心の奥にある根本的な葛藤に気づかないまま、自分の内面で何が起きているのかにも無関心になります。タイプ1も同じように、自分の無意識にある真実から目をそらすために、完璧主義や怒りを使います。そのため、タイプ1は「反存在論的」な性格だといえます。タイプ1は、自分のあり方にある程度満足し、その状態に安住する傾向があります。こうした特徴は、エニアグラムの下部に位置するタイプ群とは対照的です。また、タイプ1は、隣接するタイプ2の影響も受けています。その影響は、暴食や自発性を抑え込もうとする傾向に表れています。タイプ1は、自分をより洗練された人間にしようとすることで、一種の「偽りの豊かさ」を手に入れます。そして、その感覚が、道徳的優越感のコンプレックスを支えています。
後で説明するように、タイプ8やタイプ9では、存在論的覆い隠しは、心が粗雑になる形で現れます。一方、タイプ1では、存在論的覆い隠しは、過度に洗練されたあり方によって隠されています。つまりタイプ1では、反動形成が存在論的なレベルでも起きていると言えます。タイプ1は、自分の存在が欠けているように感じると、その欠乏を埋めようとして、「自分は十分に豊かだ」と思えるような活動に向かいます。タイプ1が「これをすれば満たされる」と感じる代表的な活動は、完全であろうとすることです。この存在論的覆い隠しがあるために、タイプ1は「存在そのもの」を求める代わりに、「善い人生」を求めるようになります。「善い人生」は、本来求めている存在そのものの代わりです。するとタイプ1は、自分の行動が外側の価値基準に合っているかどうかを重視するようになります。
Character and Neurosis, Naranjo
さらに:
タイプ8が、甘やかしや共謀を求める「悪質な」搾取者であるのに対し、タイプ1は「自分は与える人だ」という立場で人と接します。そして、自分は与えているのだから、それに見合う権利があると感じています。
Enneagram of Society, Naranjo
道徳的か、反道徳的か
タイプ8とタイプ1は、「反道徳」と「道徳」という正反対の立場を取ります。
タイプ1は、社会のルールや規範をとても重視します。タイプ1は、自分の衝動をしっかりコントロールするために、決められた行動規範を厳しく守ろうとします。
一方、タイプ8は反社会的な傾向があります。タイプ8は、道徳とは主知主義(インテレクチュアリズム)の一種であり、結局は衝動をコントロールするための仕組みにすぎないと考えています。
そのため、タイプ8は、自分は傷つけられないという感覚と、自分には何でも自由にできるという感覚を守るために、反道徳的な立場を取ります。
一方、タイプ1は、自分は他者より優れているという感覚を保ち、自分の攻撃性をコントロールするために、道徳的な立場を重視します。
センター(トライアド)
活動的 - 知的
タイプ1はガッツセンターに属するタイプです。このセンターでは、存在(Being)からの根本的な転落に対して、自分が無意識であることに気づかない、つまり「二重の無意識」の状態になるという形で防衛反応が起こります。
タイプ1はエニアグラム図の上部に位置するため、このセンターの下部に位置するタイプよりも精神的な安定を保ちやすい傾向があります。しかしながら、その影響で自分が間違っていることにも気づきにくい傾向があります。
タイプ1はガッツセンターのタイプなので、主観の影響を受けないように、自分の経験を機械的に処理します。また、自分を身体と同一化するため、何よりも行動を重視します。
タイプ1の情念である怒りは、機関車を動かす燃料となる炎のような役割を果たします。この怒りが原動力となることで、タイプ1は周囲の環境に実際の変化をもたらし、自分の完璧主義を行動として実現していきます。
タイプ1では、能動性の次に強く働くのが、知的な働きです。
この知性は、父親像に支えられた社会のルールや秩序に従おうとするだけのものではありません。タイプ1は、この知性を使って自分の考えや行動を正当化します。
タイプ1は、「正しいか誤りか」「完全か不完全か」という基準で物事を見ます。そして、その基準を使って周囲の世界を判断します。タイプ1は、このように知的に考えることで罪悪感を和らげ、「自分のしていることは正しい」と信じて行動できるようになります。
この知性の使い方をよく表しているのが、SO1のシャーロック・ホームズです。彼は究極の演繹法を築き上げることで、自分の経験を感情ではなく論理で処理するようになります。アリストテレス(SP1)やウィトゲンシュタイン(SO1)も、この知性主義の例として挙げられます。
対抗 - 移動
タイプ1の対抗 - 移動は、情念である怒りが「現実に逆らうこと」とされ、執着である完璧主義が「川の流れを無理に変えようとすること」と表現されていることによく表れています。
タイプ1は、とくに権威主義的で支配的になりやすいタイプです。タイプ1は、「物事を正そう」とする名目で、現実や他者に逆らおうとします。
そして、自分は正しいことを完全にやり遂げたと思うようになると、タイプ2と同じように権利意識をもちます。つまり、タイプ1は、「愛情や所有物は自分が受け取って当然のものだ」と考えるようになります。
エニアグラムの現代的な解釈の中には、タイプ1を「他者志向型・他者に向かう」タイプに分類するものがあります。その理由は、タイプ1が社会のルールや行動規範に従い、その姿勢によって他者から尊敬を得ようとすると考えられているからです。
しかし、このようなタイプ1のイメージでは、タイプ1が持つ傲慢な優越感や強い要求性、そして周囲を自分の思いどおりにコントロールしようとする性質が抜け落ちています。
真の「他者に向かう」タイプ(タイプ2やタイプ7)は、もっとはっきりとした温かさや前向きさを示します。一方、タイプ1にも温かさや親切さはありますが、基本的にはもっと冷静で、人と距離を置く傾向があります。また、何かを失ったときには、タイプ8と同じように、自分から奪い返そうとしたり、相手を支配しようとしたりする反応を示します。
さらに、タイプ7やタイプ2(他者に向かうタイプ)は、一見すると社会的に見える性質を持っています。一方、タイプ1は、本質的に親社会的な性質を持っています。
敬愛(フィリア)― 慈愛(アガペー)
父の愛(フィリア)は、タイプ1が示す基本的な愛の形です。タイプ1は、権威主義的な姿勢によって象徴的に「父」を表すだけでなく、心理的発達の過程で父親と同一視することが知られています。
敬愛は、冷静で距離のある愛です。タイプ1は、「自分のほうがより完全であり、そのため他者より優れている」と考えやすく、自分を他者より上に置く傾向があります。この愛の形には、そのようなタイプ1の特徴がよく表れています。
そのため、タイプ1は相手に愛情を示すというより、「尊敬されること」を求めます。この愛には、非人格的な性質があります。なぜなら、タイプ1への尊敬は、その人自身ではなく、「あるべき姿」という非人格的な規範をどれだけ守れているかによって決まるからです。
一方で、補助的な愛である慈愛は、タイプ2との隣接性に表れています。タイプ1は、自分を「与える人」として見てもらうことも好みます。彼らは、自分の理想に合わせて現実を変えることが、最終的には現実や周囲の人々のためになると信じています。彼らにとって、人を正すことも「与えること」の一つなのです。
フロイト:超自我
タイプ1では、超自我的な傾向が、どのタイプよりも強く表れます。その特徴が、完璧主義です。[3]
タイプ1は、超自我の影響を最も強く受けるタイプです。エニアグラムでは、超自我とは、自己抑制や硬直性、自己統制、そしてルールを守ろうとする傾向をもつ心的機関を指します。こうした特徴が、タイプ1の性格の土台になっています。
タイプ1は幼い頃、親などの権威的な人物から強い影響を受けます。そして、「超自我が求める理想どおりに生きれば、立派な人間として認められ、人から愛され、特別に認められる」と信じるようになります。
そのため、タイプ1は自分自身に厳しい基準を課すだけではありません。同じ基準を、周囲の人にも求めるようになります。そして、自分が周囲にとっての「超自我の声」となり、父親のように「何が正しいか」を示す役割を担うようになります。
References
-
Character and Neurosis: An Integrative View, Pg 57 - 59 Character and Neurosis: An Integrative View | Claudio Naranjo | download (b-ok.cc)
-
Naranjo, C. (2017). Ensayos sobre psicología de los eneatipos.
-
Ichazo, O. (1972). The human process for enlightenment and freedom: A Series of Five Lectures.
出典:
Enneagram Type 1 - The Reformer
本記事はWiki - Personality Database様の上記リンク先ページを日本語へと翻訳したものです。CC BY-NC-SA 3.0を継承しています。
翻訳時にChatGPTを一部利用しています。